真夏、うだるような暑さ。
ひしめくように並ぶ文化住宅。
その中の一つの棟に用件があると思しき一人の男。
年は四十をちょっと過ぎたくらい
「ごめんよォ」
「………。 ………」
「オーイ。誰も居てへんのかー」
「……………………………」
「……………。よっと(敷居を跨ぐ)ほなちょッと、勝手に入らしてもらうでー。……おーい、キミ子ォー」
奥から出て来た少年。
年は十四五。
「…………………。………………………」
「……お、ケンジ、お前おったんか」
「…………………。…………………」
「………。……なーにを、そないに怖い顔しとんねん」
「………………。…………………何しにきてん」
「おい、キミ子はどこおんねん」
「…………。…………………」
「……仕事か?」
「…………………。……………………出ていけや。」
「……ちぇっ。冷たいのー。そんな言い方せんでもええやろがい。久しぶりにお父ちゃんが会いに来たゆうのに」
「…………誰が父親じゃ…」
「お前まだ新聞配達のバイトやッてんの?」
「……はよ出ていけやッ、ちゅうてんねんッ!」
その問いには答えず、男は部屋に上がる。
きょろきょろと何かを探す。
少年はその場から動かず、男を目で追う。
「あーあ、暑いのォ。冷蔵庫はァッと。……おお、あッたあッた。へへ。………ちゃんと麦茶作ッたァるやないかい。エライエライ。コレお前が作ッたんか?」
「……………………………」
「……………………。プハァ。……ハァ。アー、うまいのゥ、やっぱり夏は麦茶やなァ」
「………………………」
「それにしても、えらい疲れたわ。今日ホンマ暑いしなァ。ほやからちょいと、スマンけど、アグラかかしてや。休憩じゃ……………よッこらしょッと………」
「……………………。………」
「………いやな、ココ来るまで、ちょッと迷うたんじゃ。……ヤッパリ初めて来る土地ゆうんは、分からんモンやのォ。おんなじ大阪ン中やのに、この辺来た事もなかッたさかいな。おかげでアッチ行ったりコッチ行ッたり、ココの家も、一回通り過ぎてたんちゃうか(笑)………あ、……灰皿ァ、あるか?」
「…………………………………」
「灰皿。ちょッと一服さしてくれや。…………お父ちゃん歩き疲れてんねやわ。」
「……………………………………」
「オイ。灰皿て」
「………………………………………」
男は既に取り出していた一本のタバコを少年めがけて投げつける。
タバコは少年の胸下に当たッて床へ落ちる。
その間も、少年は男を静かに睨み付けたまま動かない。
「ええからはよ灰皿出せや」
「……………………。……………………」
少年はようやく重い足を動かし始め、男の座っている目の前の床に、灰皿を置く。
「おおけおおけ、ありがとさん。……………………。…………………フウー。………………。アー疲れた。…………しかしマァ、割りとええとこやないか、ココ。ちょっとマァ狭ッ苦しいけどな。風は結構ぬけるやないか。エェ。ええ風が通ッてきよるがな」
「………………………。……………誰のせいで、こんなとこに引ッ越すハメになった思てんのやッ」
「あ、そやそや!ユキちゃんどないしてんねん今」
その言葉を聞いた途端、少年はいッさんに男に掴みかかる。
しかしすぐに振りほどかれてしまい、男の蹴りで少年は部屋の端に飛ばされて、壁に身体をぶつける。
「……なんやねんお前は。相変わらず、うッとォしいやッちゃのー」
「……お前のせいでなッ!!…………………お前のせいで、ユキちゃんの結婚も、なんもかんも、アカンようになッてんぞッ!!」
「…………………。……………(他所を見ながら、ゆッくりとタバコを吹かしている)」
「頼むから、帰ッてくれやッ!!………………おれらはお前の顔なんか、見たくもないんじゃッ!」
「……………………ウルサイなぁこのガキは。もうちょい黙ッとれんのかいな…。ヤカマシイ」
「………帰れや」
「お前は帰ッてほしいんか知らんけどなァ。キミ子はそう思ッてへんのとちゃうか?」
「…………………」
「………おれも久しぶりにキミ子と会いたい思うてなァ。ほんでマァ、思いつきで今日来たんやわ。えらい突然で、悪い思たけどな。堪忍してや」
「………嘘つけ…。またお母ちゃんに金セビりに来ただけやろが……………」
「まぁ、それもあるけどな」
「……………………おれらがお前の借金、今でもどんだけ肩代わりしてる思てんねん」
「…ほやから、金出来たらちゃんと返すゆうてるがな」
「……………………お母ちゃんに金使わすだけ使わして、後は知らん。ほんで六に家も帰ッてこんと、どッか知らん女のとこばッかり行ッて。……お前一体何なんッ!マジで、おれとお母ちゃんの前から消えてくれやッ」
「………………フゥー。ホンマ、クチだけは達者になったのー。…………。……あのな、キミ子はおれの事まだ好きなの。ほんでおれもキミ子の事好きなの。つまり相思相愛ッちゅうやッちゃな。それで何の問題があるッちゅうのんじゃ?のう。なんか問題あるか?そりゃ、おれがアイツの事ムリヤリ引ッ張りあげて、アイツの財布から金巻き上げたんやッたら、罪にもなるやろ。ほやけど、おれが今までそんなんした事あるか?お?………のう。ケンジ。おれ今までなんやキミ子を脅したりしたかいな?」
「………………………。お母ちゃんの事いッつも殴ッとッたやろがッ」
「アハハ。そりゃァ、アイツが分けの分からん理屈垂れよるからじゃ。」
「…………………………………」
「ユキちゃんもユキちゃんじゃ。お前は詳しい話知らんからな、向こうの話だけ聞いて、おれが全部悪いみたいに思てるみたいやけどな。そりゃァ、アッチの言う事ばッかり聞いてたら、おれに不利な事だけゆうに決まッとるやろが。……物事にはな。どッちの立場に立ッても、そッちの奴が持ッとる大義ちゅうのがあんのじゃ。それぐらいの事も分からんのかお前?中学生にもなッて。バスとか電車、大人料金払ッとうだけで、脳みそはまだ子供のまんまか?」
「…………………ユキちゃんはなぁ………。もう今でこそ何もゆわへん。………ちゅうか、おれら皆、今ではその話には、触れたらアカンみたいになッてる。ほやからおれらもあえてその話は、せぇへん。…………そやけどなァ、ユキちゃんなァ、…………あの日ィ、おれの横で、ずッと泣いとッてんぞ。家の人に見られるのイヤやから、ゆうて、夜ずッと、コンビニの前で。………………お前、ユキちゃんに悪い事した、思わへんのかッ」
「………………だから、おれの話聞いとッたか、お前?」
「……………………。………おれは生まれてこの方、お前の事、父親なんて思ッた事、一回も無いからなァ…………………まして、身内でもない」
「カッカッカ。何と言おうが、お前はおれの子供やで。チャーント、おれの血ィも通ッとるわ。マァ、認知せなアカンけどな。したろか?……キミ子は喜ぶやろなァ」
「…………………………………………………」
「………………ちゅうか、キミ子はまだ帰ッてこぅへんのかいな。………アーァ。……ここでずッと待ッてても退屈やしのう。……お前もギャーギャーウルサイし。…………マァ、また改めて来るかなァ。………よッしゃ。ほな、今日は帰るわァ」
男は灰皿にタバコを押し付けて立ち上がり、ノロノロと玄関から出て行く。
少年は壁にもたれたまま、しばらく呆然としている。
それから十分程して、入れ違いに母親が帰ッてくる。
「……ただいまァ」
「……………………………………………」
「ハーァ。疲れた疲れた。………………。……ケンちゃん只今ァ。……………ケンちゃん?……………」
「…………………あ、おかえり」
「………どないしたん?」
「………………………。………い、いや、………。………別に何も、あらへん」
「……………?………………。……そう?」
「………う、うん」
母親は荷物を台所のテーブルに置いた後、もう一度いぶかしげに少年の方を見る。
その時ふと、床の上に置いてある灰皿に気がつく。
「……ケンちゃん」
「…………………ん?」
「今日、誰か来はッたん?」
「…………え、…………な、なんで?」
「…………いや、だッて、それ(灰皿を見ながら)」
「…………あ、……………」
「あんたタバコ吸わへんでしょ」
「………あ、いや……」
「あーッ。アンタ、ホンマは私に隠れて吸ッてたんやなァ。…………悪いやッちゃ!」
「…………あ、そのー、マァ……。」
「フフフ。………。……病気にならん程度にしときや。」
「…………………………………」
「……………ほな、ちょッと御飯の用意するわね」
「……………………うん…………」
「……あれ?」
「……………。…………?」
「…………………ここに、タバコ一本落ちてる」
「………………あッ!」
「……………。……………………!…………………………」
「…………いや、それわ……………」
「………………ケンちゃん?…………………」
「……………………………………」
「……………ねぇ。………もしかして、ノブちゃん来てたの?」
「…………………………いや、………」
「……ねぇッ?……ノブちゃん来てたん?………………ほんまに?」
「………………。………………い、いや、ちゃうねんッ!…………ちゃうねん!!………………お母ちゃんッ!!…………それちゃうねんッ!!……………それ、おれが吸おうとしてたやつやねんッ!…………………お母ちゃん!…………お母ちゃんッてば!!」
少年の言葉を全て聞かない内に、母親は家を飛び出して駅の方に走りだした。
少年は一人家の中にとり残される。
「………………………………………。……………………………ウゥ………。…………お母ちゃん………………。……………お母ちゃん……………。…………。ウゥ………。………お母ちゃん…………。………………………ウゥ………………………………」
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